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ウキペディア参照

滋賀県(しがけん)は、琵琶湖を擁する日本の近畿地方北東部の内陸県。県庁所在地は大津市。

古代から中世
国造が分立した時代には、滋賀県はヤマト王権の領土に入っていた。飛鳥時代には近江大津宮、奈良時代には紫香楽宮や保良宮が置かれた。壬申の乱や藤原仲麻呂の乱といった戦乱の舞台となることも度々あった。

平安中期より佐々木氏が近江に起こった。佐々木氏は源頼朝が関東地方で勃興するとこれに積極的に加わり、近江一国の守護職を得た。以降、六角氏や京極氏に分かれながら、佐々木一族は戦国時代に至るまで近江国を支配した。南北朝期にはばさら大名で有名な佐々木道誉(高氏)が出て京極家の勢威を伸ばした。

本願寺蓮如の大布教が始まると、大津付近は一向宗色が強くなった。このため、これを喜ばない比叡山が度々攻撃を仕掛けた。比叡山東麓の坂本は一向宗の堅田と経済的にも対立していたことから、両者の抗争は頻繁であった。この後に蓮如は大津に一向宗拠点を構えたため、大津が栄えることとなった。

戦国時代
戦国時代に入ると、北近江に浅井氏が台頭する。形の上で京極氏を奉じた浅井氏は南近江を領する六角氏と抗争する。織田信長と結んだ浅井長政に至って六角氏を駆逐するが、後に将軍の信長包囲網に加わって信長に抵抗、小谷城の戦いによって1573年に滅亡する。

近江国を支配圏に入れた信長は、根拠地として近江盆地に安土城を建設する。信長の死後は畿内を地盤とする羽柴秀吉と、越前国北の庄を地盤とする柴田勝家の係争地となり、近江北端部で行われた賤ヶ岳の戦いにおける秀吉の勝利で決着が着けられた。秀吉は初めての領地が長浜であった関係もあり、多数の近江国民を主に事務方として登用した。石田三成もその1人である。そのことによって生じた近江閥と秀吉出身地の尾張閥の対立が関ヶ原の戦いを促したとも言われる。

また戦国時代から江戸時代にかけての甲賀郡では甲賀流忍者が活動していた。

近世
徳川家康は、徳川氏における精鋭軍を率いる井伊氏を関ヶ原に近い彦根に入封させて西国の抑えとし、北近江の大部分は彦根藩の領土となった。まとまった大藩は彦根藩のみであり、その他は膳所藩、水口藩、大溝藩、西大路藩、宮川藩、山上藩、三上藩といった小藩、交代寄合の最上家の大森陣屋、交代寄合の朽木家の朽木陣屋、さらに他国の諸藩領や天領なども入り交じり、江戸時代の近江国の領地区分は複雑な様相を呈していた。江戸時代初期には将軍上洛用御殿が近江国内に水口城のほかに、永原御殿、伊庭御殿、柏原御殿があったが、3代将軍家光以降は上洛も途切れ御殿も次第に老朽化して、廃れていった。

また江戸時代には、鎌倉時代から続く商工業が飛躍的に発達し、犬上・愛知・神崎・蒲生・高島の各郡、特に八幡・日野・五個荘などから近江商人を多く輩出した。

近代
廃藩置県によって近江国にあった各藩は県に移行し、1871年(明治4年)11月22日に大津県(滋賀郡・蒲生郡以南)と長浜県(高島郡・神崎郡以北)に統合された。翌1872年(明治5年)、1月19日に大津県が滋賀県に、2月27日に長浜県が犬上県にそれぞれ改称され、9月28日に両県が合併し、旧近江国と領域を同じくする滋賀県が成立した。県庁は大津市に置かれたが、あまりにも西に偏在しているため、旧城下町の彦根市も候補に上がった。なお1876年(明治9年)8月21日から1881年(明治14年)2月7日までの4年半には、現在の福井県嶺南地方を編入し、滋賀県が若狭湾に面していた時期もあった。

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